ヘイコーポリ5月
人との死に別れが、悲しいのは、もう二度とその人に会えない、新しい考えを聞くことができない、という事実を受け入れがたいからだ。ならば、もし死んだ人が遠くの人で、本を書いていて、それをまだ、私が読んでいないとすれば、悲しみは軽減されるはず。
だって、その人は遠くにいるのだから、会う事はどうせできないし、本を読めば新しい考えを知ることができる。私みたいな根本的に根性の曲がっている人間は、会わないほうが幸せかもしれない。嫌われないで、すむから。
だから、私は、二度と会えなくても、何を思っているのかわからなくても、悲しくないです。今までと同じように、その人の言葉を、読む事ができれば、私は大丈夫です。
スティーブン・グールド氏、死去。
悲しくなんか、ない。
というわけで今日も、読んだ本の話なんですけれども、さすがに、このはじまり方にも、飽きたのですが、別段面白い事のない退屈な人生ですので、本当に皆さん、怒ったり笑ったり揶揄したりで大変ですね、こんばんは、ヘイコーポリでーす。得意な料理はウガリですよ!
さて、今日の本は進化論の偉いひと、スティーブン・J・グールドが書いた試論をまとめた「フラミンゴの微笑(上下)」です。といってもまだ、上巻しか読んでないのですが、暇なくせに、無職のくせに、うるさい黙れ。とりあえず表4の惹句にあるとおり、科学史上の虚妄を鋭く指摘する、とても刺激的な面白い本です。ファインマンの「ご冗談でしょうファインマンさん」やセーガンの「暗闇を照らす蝋燭としての科学」なんかと同じように、頭の良い人の試論を読むというのは、私も頭良くなったような、そんな勘違いができるので好きです。科学者さんの書く文章は、正確な記述にこだわりがちなので、最初は読みづらいかもしれないですけど、変な批評もどきと違って、必ず理解できるように書いてあります。もし読まず嫌いの人がいたら、ゆっくり読むといいです。私はそうやって、ゆっくり読んで、あ、わかったかも!と思うのが好きです。
試論というのは、グールドの本で「エッセイ」とルビが打ってあったので、そういう意味です。格好いいので使ってみました。わーい。
以前にも書きましたけれども、私は女の子がバラバラになったり、酷い目に遭う話が好きなんですね。だから、同じ眼球で「ロケットボーイズ」なんかを観て、泣いたりする事に、随分長い間、困惑していたんですけれども、今日家の本棚を片付けていて、ハタ、と、原因に気付いたので、報告します。
私の父親は、ほとんど家に居らず、たまにふらりと来ては、私に本をくれました。それは他の本と同じように今でも私の本棚にあります。子供の頃から親しんだ、以下がその本の一部です。
レイ・ブラッドベリ「火星の笛吹き」
筒井康隆「農協月へ行く」
エルマンノ・リベンツィ「狂った星」訳:千種堅
シャルル・ペロー「長靴を履いた猫」訳:澁澤龍彦
小学生の娘にこういう本を買ってくる父親は、やはり精神に何か問題があったのかもしれません。納得できるのは、ブラッドベリくらいかなあ、いや、しかし、こりゃひどい。やはり、本を読むと、ばかになるのだなあ。
ところで先日引っ張り出したサリンジャー解説本ですけれども、色々きびしい視点で書かれていて、私は「きちがいのぼく」のよわよわなホールデンも好きなので、なんか納得いかない本でしたよ、本当は。
えーと、昨日、たとえに出した、田中啓文なんですけれども、体力を必要としない、アホの読む本、という風な例えに出してしまって、ほんとうに申し訳ないです。ですけれども、私、田中啓文のファンであります。どのくらいファンかと申しますと、アマゾンで「田中啓文」検索をかけ、出てきた本を片っ端から注文し、届いた小包を開けると中に入っていたのは「田中啓史」の「イエローページ版サリンジャー」という、サリンジャー全作品についての解説本だったので、つい読んでしまい、これが馬鹿にしたものでもなく、結構面白かったので「鬼の探偵小説」や「水霊」は、まだ読んでいない、というくらいファンなんです。 短く言うと、田中啓文については、まだ、わかってません。koredeha 、あんまり良ろしくない、と思った私は、公式サイトを読んだのですが、余計わからなくなりました。
最近暑さで昼寝ができないので、地球滅べ!と念じておきました。
他の理由なんかないです、ないですっ!
半年くらい前から、友達に安部公房の「砂の女」を借りていて、今、半分くらい読んだところで止まっているのですけれども、私は安部公房の書く物はとても好きですし、読んでいると引き込まれてしまって、いつまでもその世界にいたいと思ってしまうのですけれども、この「砂の女」だけは、読み進められない。読むと喉の奥から、多触手の生物が這い上がってくるような不快感と、海辺で波に洗われた足首の周りから砂が溶けて沈んでいってしまうような、快感が訪れて、私はあわてて本を閉じてしまうのです。 しかし、いつまでも人の本を、借りているわけにはいきませんし、多分、体力の衰えが、このような本の読書をさまたげているように思いますので(その証拠に田中啓文の「銀河帝国の弘法も筆の誤り」などは3時間くらいで読み終わった)、明日は「砂の女」を買って、借りているこの文庫本を返却しようと思います。ああ、でも、ああ、じわり、じわりと、ああ。
ご迷惑をおかけしております。
土日は、デザインフェスタに行ってきました、あら、ビニール袋さん、デザインに興味が?なんて言わないでください、これでも昔は、ちょっとしたオリーブしょう女だったんです。ダッタン人。
えーと、良かった部分。Tシャツや、ガラス製の蜘蛛など、ステキなものが安価で置いてあったので、普通に買い物をしてしまった。自分も頑張るぞ!という気になった。ガックリした部分。ポストカードが多い、安易過ぎてとても全部見てられない。ロッキンジェリービーンの粗悪なコピー商品発見、手の込んだフィギュアまで作ってるのに、劣化コピー、人生無駄遣い。
勉強になったので、今年の11月は友達を騙して出展しようと思いました。
そして現実逃避を続けるビニール袋さんは、土曜日の夜にオールナイトで「スパイダーマン」を鑑賞してしまいました。面白かった、非常に満足した、皆さんも是非観て下さい。けれどね、私は言いたい、あの、私の前の席に座っていたカップルがね、スタッフロールのあいだ、ずっとチューをね、ムチューっとね、顔面の粘膜部分をね、ああもう、気持ち悪い。愛とかそういう類のものは、スクリーンの中に、ちゃんとあるのだから、何も客席でね、確認しなくてもいいじゃないかと、何が言いたいのかよくわかりませんけれども、正直私はスパイディの真摯な愛に心打たれていましたので、安易な行為に憤った、というわけです。
欲求不満なんでしょうか。
しゃべらないコップは、とてもつまらない。
ここ数日で目にした、パーフェクトな現象。
夕方、新宿西口のケンタで、隣の席でやってた、自己啓発セミナーの勧誘。化粧っ気のない相手に、熱心に「生きる意味」と「本当の自分」を見つける楽しさを説明する、ちょっと塗り過ぎで顔白いだろう、という感じの人が言った言葉が「いつかソウルブラザーに出会うの」
本屋に行く途中で、白地に赤く「I LOVE NY」と書いてあるTシャツを着た、ふくよかな女性が歩いてきたので、思わず見惚れておりますと、その手に持ったカバンには「PLAYBOY」と。
あなたの目にした「パーフェクトな現象」を教えてください。
「だからね、あんまりいろいろ気にするのも、おかしいな、と思ったのだよ。結局、きみが何を考えているのかなんて、ちっともわかりはしないのだし、なにより私が何を考えているのか、私自身がよくわかっていない。私はもう、きみにとっての一番ではないのだから。やめてくれたまえ、そんな適当なことを言うのは。やめてくれないか、私の代わりなんていくらでもいるのだろう?君はもう、私を頼りにしてはくれない、私はいつだってきみの為に働くのに、きみは私に声もかけてはくれない。こうやって、私が話しかけても、知らないふりをして、ほんとうにいやらしい。私はきみを好きでいる事に疲れてしまった。私はたいそう疲れてしまった。さようなら」
そう言って今夜、コップが床へ投身自殺した。私は茶碗でコーヒーを飲んだ。すこし変な感じがしたけど、じきに慣れた。
新しいコップは、喋らないやつにしようと思う。